「ベリー侯のいとも豪華なる時祷書」は、15世紀フランスでつくられた祈りの書です。パリ郊外にあるシャンティイ城の奥深くで大切に守られてきました。600年もの間、ほとんど人目に触れることがなかった幻の本(専門書を翻訳した美術史家でさえ、直接見たことがないそうです)ですが、NHKの8K撮影が特別に許可されました。
「世界で一番美しい本」と呼ばれる、その美しさ。牛の皮を使った上質な紙に、金やラピスラズリなど宝石にも値する高価な顔料をふんだんに使った驚くほど豪華な細密画。複数の画家が80年近くをかけて描き継いだとされています。中でもユニークなのは、本の冒頭からの12ページ。1年12か月、月ごとの中世の暮らしが描かれています。そのすべてが、600年の時を超えて現代のフランスにも引き継がれているスローライフ!
…という情報を胸に、胸を高鳴らせながら向かった撮影。1ページ1ページが分厚く、わずかに波打っています。1月の絵が現れると、その鮮やかなこと!特に青色は、細かく砕いたラピスラズリの粒がキラキラと輝いています。幅15㎝の画面が8Kカメラで拡大されると、服地の模様、小麦の一粒一粒、チュニックに照り返す秋の夕陽まで、細密な描写が次々と。どこまで拡大しても、魅力的な〈なにか〉が現れてくるのです。ここまで細やかな描写なら「ベリー侯ジャンに命じられて描き始めたランブール兄弟の生涯だけでは完成せず、次の画家へと引き継がれた」という逸話は決して大げさじゃないのだ、とうなずきたくなりました。
それにしても、撮影場所として使わせていただいたシャンティイ城図書室の素敵なこと。「フランス国立図書館に次ぐ蔵書数なんですよ」と、コンデ美術館学芸員マチュー・デルディックさん。膨大な本が美しい書架におさめられ、ところどころに心地よさそうな読書コーナーが設けられています。また、美術館の所蔵品は、ルネサンスの名画から近代フランス作品まで3万点。壁いっぱいに低い位置にも高い位置にも絵画が展示してあるのは、19世紀のスタイル。19世紀にこれらの美術品や書物すべてを収集したオマール公の遺言により、この展示方法を堅く守っているのだそうです。
撮影の合間、ランチに誘ってくれたマチューさんが「デザートにクレーム・シャンティイはいかがですか?」。あ、そうか!その名のとおり、ここが発祥の地なのですね。「よい撮影をしなくては」と緊張で張り詰めた気持ちを、フランスらしい〈生きる喜び〉でふわりとほぐされるような、幸せな撮影になりました。
(倉森京子・NHKエデュケーショナル、8K番組「世界で一番美しい本」プロデューサー)